「いい気分でいなきゃ」と思いながら、気づけばため息をついている。
ポジティブな言葉を唱えるほど、心のどこかがすっと冷えていく。
頑張っているはずなのに、心は少しずつ重くなっていく。そんな自分に、少しがっかりしていませんか?
でも、最初に伝えさせてください。引き寄せに疲れてしまうのは、あなたの心が弱いからでも、やり方が下手だからでもありません。
それだけ真剣に、自分の人生を良くしようと頑張ってきた証です。
こんにちは、引き寄せ研究所です。かつて「自分は運が悪い」が口ぐせだった私も、まったく同じ場所で立ち止まったことがあります。
今日は、その時の話をさせてください。
引き寄せに疲れたのは、「いい気分でいなきゃ」と頑張りすぎたから
引き寄せの法則に出会ったばかりの頃は、世界が少し明るく見えたと思うのです。
「思考が現実をつくるなら、私にも変えられるかもしれない」と、胸の奥に小さな灯りがともったはずです。
けれど、いつからか「ネガティブになってはいけない」という新しいルールが、心を縛りはじめます。
落ち込んだ瞬間に「あ、いま悪いものを引き寄せてしまう」と怖くなる。
不安を感じた自分を責めて、責めたことでまた不安になる。
イラッとしただけで「私はまだまだだ」と落ち込んで、その落ち込みをまた慌てて打ち消そうとする。
通勤の電車の中で、家事の合間に、眠る前の布団の中で。
気づけば、感情のひとつひとつを採点しながら生きている。
同じ一日を、同じ気持ちのまま繰り返しているような感覚だけが、静かに残っていく。
キラキラした「叶いました」の投稿を見るたびに、自分だけが取り残されたような満たされなさが胸に広がる。
「私だけがうまくできていない」と感じる夜も、あったかもしれません。
でも、同じ場所で静かに疲れている人は、あなたが思っているよりずっとたくさんいます。
本来は心を軽くするためのものだったはずなのに、いつのまにか二十四時間の「感情の見張り番」になってしまう。
これで疲れないほうが不思議です。
あなたは間違っていません。ただ、優しくて真面目な人ほど、教わったことを丁寧に守ろうとして、頑張りすぎてしまう。
それだけのことなのです。
「やめたい。でも叶わなくなりそう」で、やめられなかった私
私にも、引き寄せを手放せなかった時期があります。
もともと私は、「どうせ私なんて」が染みついた子どもでした。
だからこそ、思考で人生が変わるという考え方に出会ったとき、藁にもすがる思いで飛びついたのです。
朝晩のアファメーション、寝る前の感謝ノート、理想の暮らしを思い描くイメージング。
ひとつでも欠かすと落ち着かなくて、完璧にこなそうとしていました。
それでも、繰り返す毎日は変わりませんでした。むしろ「こんなにやっているのに」という焦りだけが、静かに積もっていきました。
やめたい。でも、やめたら本当に叶わなくなる気がして怖い。
お守りを手放すような心細さで、疲れているのにやめられない。
やめる勇気も、続ける元気も、どちらも残っていない、そんな宙ぶらりんの日々でした。
いちばんつらかったのは、くたくたの自分に「疲れたなんて思っちゃだめ。波動が下がる」と言い聞かせていたことです。
休みたいという心の声まで、悪いもの扱いしていたのですから。
もしあなたが同じ場所にいるなら、これだけは受け取ってほしいのです。
一度やめても、いいのです。やめることは、願いを裏切ることではありません。
力むほど遠ざかるのは、努力が足りないからではありません
ここで少しだけ、やさしい仕組みの話をさせてください。
「絶対に叶えなきゃ」と強く握りしめているとき、心の奥では「まだ叶っていない」「今の私では足りない」という前提を、毎日確認し続けていることになる、と言われています。
願いを唱えているつもりが、実は「足りない私」を唱えている。
力むほど遠ざかるように感じられるのは、そんなすれ違いが起きているからかもしれません。
眠ろう、眠ろうと力むほど、かえって目が冴えてしまう夜に似ています。
眠りがそっと訪れるのは、「眠らなきゃ」を手放した後だった。
そんな経験は、あなたにもありませんか?願いごとも、それとよく似た性質を持っているのかもしれません。
思い返してみると、うれしい出来事を振り返るとき、「すっかり忘れた頃だった」「期待していなかったのに」と語られることが多い気がしませんか?
手放した後にやってくる、というのは、昔からたくさんの人が体験してきたことなのだと思います。
そしてもうひとつ。ネガティブな気持ちは、敵ではありません。
不安も寂しさも、「ここをいたわってね」と教えてくれる、心からのお便りのようなもの。
無理に蓋をするより、「そう感じているんだね」と一度認めてあげたほうが、感情は静かに通り過ぎていってくれる、と言われています。
執着を手放すというのは、願いを捨てることではありません。
「叶っても叶わなくても、私は大丈夫」という安心の側に、そっと立ち直すこと。
願いはそのままでいいのです。握りしめていた手を、ゆるめるだけ。
「もういいや」とつぶやいた夜から、流れが変わった
ある夜、私は疲れ果てて、感謝ノートを開く気力もなく、布団の中で「……もういいや」とつぶやきました。
投げやりな言葉のはずなのに、不思議と涙が出て、胸のあたりがふっと軽くなったのを覚えています。
諦めたというより、ずっと背負っていた重い荷物を、やっと降ろせた感覚でした。
その日から、唱えるのをやめました。ノートもやめました。
正直に言うと、最初の数日は「こんなことでいいのかな」という後ろめたさが顔を出しました。
それでも、代わりに温かいお茶をゆっくり飲むとか、好きな音楽を流しながら湯船につかるとか、小さな心地よさだけを拾って暮らすうちに、後ろめたさは少しずつ薄れていきました。
すると、しばらくして、諦めかけていたご縁や機会が、思いがけない形で舞い込んできたのです。
あんなに追いかけていた頃には、ぴくりとも動かなかったのに。
私のところへ相談に来てくださった四十代の女性も、同じでした。
何年も理想のパートナー像をノートに書き続けて、すっかり疲れてしまった方です。
「もう書くのをやめて、自分の暮らしを楽しみます」と笑った数ヶ月後、力の抜けたその方のもとに、温かいご縁が訪れました。
「頑張るのをやめたら、なぜか流れが動き出した」。そんな声を、これまで何度も聞いてきました。
今なら分かる気がします。「もういいや」は、願いを捨てる言葉ではなく、「それがなくても大丈夫な私」に戻った合図だったのだと。
頑張る引き寄せから、「満たされる在り方」へ
ここまで読んでくださったあなたに、視点をひとつだけ、お渡しさせてください。
外側にあるもの、たとえば評価やご縁や豊かさを、追いかけて掴もうとするほど、なぜか遠ざかっていくように感じられる。
それは、外側ばかり見つめている間、自分の内側が置き去りになってしまうからだと、私は感じています。
心を器にたとえるなら、疲れてすり減ったままでは、外からどれだけ注いでも、なかなか満ちた感じがしません。
順番が逆なのです。
先に、自分という器をいたわって満たしていく。よく眠る。
自分を責めない。小さな心地よさを自分に許す。
無理に感謝の言葉をひねり出さなくても、「今日のお味噌汁、おいしかったな」で十分です。
すると不思議なことに、外側の流れのほうが変わりはじめる、と昔から言われています。
特別なことは、何もいりません。夜は少し早めにスマホを置いて、ゆっくり休む。
朝はカーテンを開けて、まぶしい太陽は直視せずに、その明るさを部屋に招き入れる。
そんな当たり前の暮らしを丁寧にすることが、いちばんの土台になってくれます。
引き寄せをやめることは、願いを諦めることではありません。
「叶ったら満たされる」から、「満たされているから、流れがやってくる」へ。
順番を、本来の向きに戻していくことなのです。
だから今夜は、何もしなくて大丈夫。アファメーションも、ノートも、お休みしていい。
代わりに、ひとことだけ自分に言ってあげてください。「今日まで、よく頑張ってきたね」と。
今夜、引き寄せをやめたいあなたへ
やめても、願いはあなたを見捨てたりしません。
むしろ、握りしめていた手をひらいたときにこそ、新しいものが入ってくる余白が生まれるのかもしれません。
疲れたと感じられたのは、あなたの心が「もうその頑張り方じゃないよ」と教えてくれた、大切な合図。
ここまで自分の人生を諦めずに運んできたあなたを、どうか責めないであげてください。
もし「潜在意識の書き換え」を頑張ってきて疲れてしまったのなら、頑張って書き換えようとするほど、願いが遠ざかっていた話も、きっと同じ場所からあなたに届くはずです。
では、手をゆるめた後、内側はどうやって満たしていけばいいのか。
「運が悪い」と思い込んでいた私が少しずつ変わっていけた、毎日の小さな習慣のこと。
ここには書ききれなかった続きを、手紙のような形でお届けしています。
今夜はゆっくり休んで、よかったら明日の夜、続きを受け取ってください。